12. 會田先生の逝去

會田龍雄先生は昭和 32 年 (1957) 12 月 17 日自宅で逝去された。享年 87 歳であった。雄次、芳子さん連名による竹内に当てた 12 月 27 日付けの葉書(写真 40)には「御鄭重なる御弔電を今御真情あふれる御弔詞を頂きまして一同感涙にむせんでおります。八十七歳という天寿を全うしたのですから何も申すことはないのでございますが、子としての欲目からもう暫く生きていて欲しかったという気持は仲々捨てきれません。しかも父もメダカの後継者に山本先生やあなた様を得て本当に幸せでございました。この一ヶ月前案じていたぜんそくが出はじめ強い発作は注射で止めていましたから知りませんでしたが、呼吸が苦しく今度は食欲が次第になくなり今度こそは駄目だと申しておりました。色々治療に手をつくしてもらいましたが奇跡は起こらず最後はねむったきりいつ呼吸が止まったかもわからない程安らかな美しい死でございました。水ばかりか喉に通らなくとも死の前日まで新聞には眼を通しておりました、封書にて御書状を差し上げねばならないのですが、まだ何かととりこんでおりますまま葉書にて失礼ながら御礼ご挨拶申し上げます。何とぞ御身慈愛遊ばしまして御過ごしの程お祈り申し上げます」と龍雄先生臨終に至る様子が示されていた。葬儀は近親者のみにて行われ、地方新聞に先生の訃報は伝えられなかった(写真 41)。

「龍祥院真誉光瑞理照居士」は先生の戒名である(写真 42)。

写真40

写真40. 雄次・芳子さん連名で先生臨終の詳細な報告(竹内宛の葉書)

写真41

写真41. 會田先生の訃報通知

写真42

写真42. 先生の戒名

先生は京都通称黑谷の 戒光明寺(会津藩京都守護職本陣が置かれた寺)に埋葬された。墓石は真如堂(真正極楽寺)に隣接し北門を入った直ぐ左手高台の墓地にある(写真 43)。

写真 43

写真 43. 會田龍雄先生のお墓

/medaka